こばるとライダー日記

Soliloquy of a man riding a motorcycle and a convertible

1月は冬物バーゲンへ

年が明けて2020年が始まりました。1月は気持ちが新たになっていいですね。初詣は二か所行きました。おみくじは二回とも末吉です(´-ω-`)

 

1月の楽しみがひとつあります。それは洋服のバーゲンです。1月のバーゲンでは冬モノがとても安くなっていて、50%引きなんて当たり前。モノによっては70%引きもあります。冬モノはデザインのバリエーションも多いので、おお!これがこんなに安いのか!と値段を見るだけでも楽しいです。

 

「買い物欲が止まらない!バーゲン・セールが大好きな女性(グリーンバック)」の写真[モデル:河村友歌]

 

でも安いからといって、いらないものを買ってしまうと、クローゼットにしまったきりで、結局はお金の無駄になりますから、しっかり厳選して着るものだけを買わないといけません。

 

私はファッションのために太らないように気を付けています。太らないようにしていると、オヤジ向けのアイテムではなく、若い人向けの服が着れるからです。

 

「ミドルの服=太っていても体型がごまかせる服」→ダサい

「ヤングの服=スリムな体型をアピールする服」→ファッショナブル

 

やはりファッションデザインはこうなっているんですね。ダサいところをカバーするために、ミドル向けは素材の上質感とか、デザイン性で工夫はされていますが、体型のだらしなさをカバーするまでの意匠性はありません。若い人向けの服は細身のものが多いので、体にフィットするものが見つけやすいし、価格もリーズナブルです。

 

とはいうものの、若作りに必死なオヤジという感じもイタくなりますから、あまりピチピチの服やチャラいデザインは着ないようにしないといけません。綺麗な脚をしていてもミニスカートをはかないミドルの女性と同じことです。いくらダイエットやジムで体をつくっていても、所詮オヤジはオヤジですからね。ピチピチファッションはNGです。

 

しかしファッションについて考えるとき、どうしても年齢というものを意識してしまいます。齢をとって外見がそれなりになっていくのは、誰も避けられない運命であるのに、失われてゆく若さに執着し、老けたくない、老けてみられたくないと思ってしまう。

 

何歳であっても自分をよく見せようという意欲を持ち続けるのは、自分を大切にする上で必須であると私は思います。だからといって二度と戻れない若い自分を振り返り、現在の自分の容姿にため息をつくのは精神的によろしくありません。わかっているのにそう思ってしまうのは、若い方がよいという価値観があるからなのですが、そもそも何故人は若さを良いと思うのでしょうか。

 

ひとつには生物的な優位性からきていると思います。やはり若いと生殖能力も身体能力も優れているので、生き物として肉体的な価値(魅力)がある。そして人間は、毛や鱗ではなくツルツルの皮膚がシワシワに変化していくという外見の生き物というのもあります。もし人間が毛むくじゃらでチューバッカのような生き物であったなら、老いというものは外見からわからず、気にしないのではないか、とか思ったりもします。あ、これは何か小説のネタになりそう。例えば全人類が突然変異し、毛だらけに変化したときの社会経済、文化のがどう変わるか、という話で。

 

また特に日本人は若いというところに、価値を置き過ぎだといわれています。日本では男も女も若いアイドルが人気あります。いい年をした大人が子供のような芸能人をキャーキャーいって愛でる人が、外国と比べて日本は多いですよね。ロリコンとかショタとかそういう文化も日本独自の文化だし。

 

私はそういう若さ追い求める文化は、日本人の精神的な未成熟というよりも、綺麗好きな価値観と相関関係があるような気がします。「老け=清潔感がない」ので「若いほうががよい」という考えが強いのではないかと思うのです。フランス人はそれほど清潔好きでないので、大人同士の恋愛が活発であるとか。フランス人に怒られますね。

 

こんな議論はもう何百年も繰り返されてきた話なので、今更日本人の考え方が変わるものでもありません。「若い人はお金や経験がないかわりに若さという価値を持っているので、社会のバランスがとれている」というオチにしておくと、健全な精神状態にいられるでしょうか。