こばるとライダー日記

Soliloquy of a man riding a motorcycle and a convertible

喫煙と飲酒の習慣をやめて考えること

今年は禁煙や断酒をしたせいか、肉体的精神的にバージョンアップできたような気がします。

 

 

f:id:toshihiko-w:20191217234459j:plain

 

 

酔っぱらって気持ちがふわふわしている時間が無くなったせいか、人生の幸せってなんだろう、と考えることが増えました。

 

誰しも生まれたからには幸せになりたいと考えています。では幸せってどういうものでしょうか。愛しい人や大切な家族と毎日楽しく暮らすことでしょうか、あるいはやりがいのある仕事で達成感を感じることでしょうか。社会的に重要な立場で人から尊敬してもらうことでしょうか。

 

幸せを感じれる状況は、ひとそれぞれに異なっていると思います。同じ状況でも幸せを感じれる人、そうでない人がいます。金銭的に不自由のない暮らしをしても、幸福感を感じることが出来ない人もいます。周囲から尊敬を集めていても空しさを感じる人もいます。仕事がいっぱいあると充実感を感じる人もいれば、ストレスになる人もいます。

 

幸せというものを考える視点は二つあると思います。ひとつは自分がいる状況、そしてもうひとつは自分の心の状態です。人によって幸せを感じる状況は異なりますので、幸せとは、その人の置かれている環境や所有しているものを指すのではなく、その人が「幸せだなあ」と思える心の状態が大切だと思うのです。

 

幸せをたくさん感じている状態は多幸感といいます。Wikipedeiaには「多幸感(たこうかん、英語: Euphoria)とは、非常に強い幸福感や超越的満足感のことである。脳内で、快楽などを司るA10神経のシナプス間に、幸福感を司る神経伝達物質であるセロトニンが、大量に放出されている状態とされる。愛情による至福感や、競技で勝利したときの陶酔感、オーガズムは、多幸感の例である。 また、多幸感は宗教的儀式や瞑想によっても生じうる。 特定の薬物の副作用として生じる場合もあり、また、精神や神経の疾患によって生じる場合もある。 高齢者が自然と感じるようになる幸福感も多幸感の一種とされる(老年的超越)。」とあります。

 

簡単に言うと、幸せな心とは、脳の中で喜びの神経物質があふれている状態です。初めて恋人とキスをした日、受験勉強を頑張って大学に合格した時、仕事で大きな契約をとれた日、プロポーズされた日、子供が無事に生まれた時など、人は人生において大きな幸せを感じる時があります。また日々の生活の中でも、美味しいものを食べたとき、体が凍えているときに入る温泉、誰かの思いやり、美しい風景など、幸せを感じる瞬間があります。そういうときは、脳内にセロトニンが大量に放出されているということです。

 

なんだ所詮物質かよ、と嘆くことなかれ。この物質であるということがポイントです。幸福を感じるセロトニンなどの体内物質は、無から生まれてくるのではなく、人間の体内で、肉体が持っている物質と摂取される食物から、生成されているということが重要なのです。

 

人間の体内の物質は、当たり前ですが食べた栄養素から生まれています。つまり、幸せ感覚というものは、無限ではなく有限で肉体に依存してるということです。幸せ物質は一日は一定量しかつくれないのではないかと思います。一定量といっても機械ではないので、増えたり減ったりはしていますが、肉体の限界を超える以上はつくれないし、たくさんつくって消費してしまうと、しばらく量が減るとかそういうことがあるのではないかと思います。

 

また人によって物質の生産量も違うと思います。物質がつくられにくい体質であるとか、体調などの影響もあると思います。松岡修造さんのように、いつも幸せで元気いっぱいの人は、幸せ物質の生産量が多い人ではないかと思います。そして消費量が多い人は、肉体が頑張ってもっと生産量を増やそうとするし、消費量の少ない人は、生産量が減っていく、というようなこともあると思います。

 

何が言いたいのかというと、幸せを感じるためには、幸せ物質がいっぱい生成される肉体の状態が要だということです。人生を幸せに生きるために、幸せな状況を求めますが、自分の体の幸せ物質の総量を最大化することも、同じく大切ではないかということです。

 

そのために、栄養のある食事をバランスよく食べて、適度に運動し、しっかり睡眠をとる、という肉体の最適化が、幸せを感じるためにはとても大事であると思います。

 

そしてドラッグはやらない。幸せ物質を無理に放出させるのがドラッグです。神経器官のバランスも壊してしまうので、ドラッグは幸せ物質最大化、最適化の敵であると思います。いくらよい状況にあっても、幸せ物質が出なければ憂鬱だということです。もっといい状況を夢見るよりも、自分の体を労わるほうが、効率が良いですね。

 

そんな当たり前のことに、煙草とお酒をやめてから気づきました。飲酒も喫煙も死ぬまで絶対やめれないぜ!とか生意気なことを言っていた自分を笑ってしまいます。今年はそんなことに気づいて、いい年でした。来年もいい年にしたいです。