こばるとライダー日記

Soliloquy of a man riding a motorcycle and a convertible

誤字と脱字と頭の悪い文章についての言い訳

気がつくと、このブログもいつの間にか200記事を超えていました。

 

f:id:toshihiko-w:20191113163018j:plain

 

ブログを書き始めたのは、感じたことや考えたことを何かの形で残すことで、もう少し丁寧な生き方へ、自分をシフトさせることができるのではないか、と思ったからです。また、ブログという誰かに読まれるコンテンツを前提に文章をつくることは、自分の頭のトレーニングにも良いと思いました。

 

丁寧な生き方ができているか、ということについては、最近断酒をしたこともあり、多少はマシな生活習慣に変わったと思います。ブログを書く時間も、それなりに頭を使うので、無為に過ごす時間も減ったのではないかと思います。

 

アクセス数を見ると、よく読んでいただいている記事もありますので、誰かの暇つぶしくらいにはなってるのだなあ、と嬉しくなります。アクセス数を気にしない、と強がりを言っていましたが、やはり読んでくださる方がいるのといないのでは大違いです。

 

しかしブログをやってあらためて思ったのですが、記事を書くというのは簡単ではありません。ブログをネットで公開する以上、読んでもらった人に有益な情報になるとか、知的な刺激になるとか、多少の笑いを得られるか、何かしらよいことがあるように書こうと思っていますが、それ以前の問題で、ちゃんとした文章を書けない自分がいたりします。貧困なボキャブラリー、くどい言い回し、陳腐な表現など、お恥ずかしい限り。頭の悪さが表れているようで、匿名じゃないと世間様に顔向けできません。

 

人間が霊長類になりえた理由のひとつは言語です。いわば言語は人類を人類たらしめるアイデンティティーなのです。自分を人類のはしくれと自負するなら、言葉を大切にしなくてはいけません。しかし自分がやったこと、自分の考えたことや感じたことくらいをまとめて文章化するだけなのに、これがなかなか大変です。

 

自分の至らなさにより、文章を書く専門家はやはりたいしたものだなあ、と思います。でも何事もやる気になれば多少はましになると自分に言い聞かせ、人類としてのアイデンティティーのために、まともな文章を書こうともがきます。すぐにいい文章は書けませんから、何度か読み直してチマチマ修正するという泥臭いことをやっています。しかしどうしても、誤字や脱字や、おかしな文章をそのままアップしてしまい、後で読んで修正するということをやってしまいます。

 

でも、間違った文章を書いてしまうのは、私の知性の問題だけでなく、透過光のせいもあると思います。仕事上で絶対に間違えてはいけない文章を作るときは、必ずプリンターで出力し、赤ペン持って精査します。そして他の人によるダブルチェック。それくらいは最低条件です。モニターだけで確認することはありません。

 

というのも、紙とモニターで見る文章は、人間の認識力や集中力に差がでるとか。それを証明する心理学の実験結果もあります。原理的に説明すれば反射する光によって見える紙のような媒体と、裏からLEDなどの光が透過して表示される液晶パネルでは、視覚情報を処理する脳の処理が異なるらしいのです。透過光の方が視神経に負担がかかるので、文章や数字のチェックなどの作業に影響がでているということです。液晶よりは電子ペーパーのほうが目に優しく、電子ペーパーよりも普通の紙のほうがもっとよいということです。

 

ブログのミスをなくそうと思うと、プリンタ出力するのが一番確実なのですが、家にプリンタはありません。というか、そんなことをしている人はいませんよね。

 

しかし世間では、オフィスから紙を排除する企業も増えてきました。いわゆるペーパーレスオフィスというやつですが、モニターだけで大事な文章をチェックできるのかな、みんな適応しているのか不思議です。私がモニターに適応できていないだけなのかなあ。しかし頭の悪そうな文章はモニターのせいじゃないですね(笑)