この記事を読んでいる人は、お酒を飲み過ぎている自分を反省し、どうにかして飲酒の習慣を改めたいと考えている人か、お酒をやめてからたまに飲みたくなる自分を引きとどめておくために、お酒をやめるメリットを再確認したいか、いずれにせよ、酒を遠ざけたい人だと思って記事を書いてます。
私はかなりのお酒好きでしたが、断酒を決意し実行してからもう半年になります。今はお酒を飲みたいという欲求はほとんどなく、毎日平穏に暮らしています。
自分にとってお酒とは何だったのか、そして酒をやめて生活や人生がどう変わったかについて、少し振り返ってみました。
最近知ったのですが、若者はお酒を飲まなくなっているらしいです。
上記は総務省が調べた、週3日以上で、清酒に換算し1日1合以上飲酒する者を飲酒習慣者としている人の割合です。
(出典:平成17年国民健康・栄養調査)
20歳代は40代、50代の半分以下です。将来に対する不安も大きいせいでしょうか、お酒を飲む人は少ないですね。既存の価値観からも自由なのだと思います。
私がお酒を飲み始めたのは大学で一人暮らしを始めた頃からです。1年浪人して大学に入りましたので、20歳くらいからです。私は九州の福岡にある大学に通っていました。九州という土地はお酒に寛大な地域で、大学の友人たちと焼酎をよく飲んでいました。
酒の味を覚えた最初の頃は、一人では飲まなかったのですが、そのうちウイスキーやビールを一人で飲むようになり、退廃的な文学や音楽に浸りながら、スコッチを部屋でべろんべろんになるまで飲むようになってました。19世紀末の文学やアート、イギリスのパンクロックなどが好きでした。
将来のことなんか知るか!という感じで酒に浸っていましたが、今時の若者と違ってスマホなんてなかったし、おしゃれもしていませんでしたから、お酒に金を使えたのかもしれません。
社会人になってからも、日々ビールを飲んでいましたが、飲酒量が増え始めたのは40歳が近くなる頃。会社で管理職になり、収入が増えましたがいろんなストレスがたまるようになり、外で飲んだり、家で飲む量が増えてきました。
それからどんどんお酒の量は増え続け、ここ数年は、さすがに自分でもダメだなあと思う量になり、禁煙を成功させた勢いで断酒をすることにしました。以下の記事でその経緯を書いています。
断酒してから、もう半年近くお酒なしの毎日を過ごしていますが、こんなにお酒を飲まないのは、高校生の時以来です。そして食に走ることもなく、太らず体重を維持しているのは、自分でもたいしたものだと思います。
人生観や価値観についても、考え方が少し変わってきました。
まずお酒というものはドラッグであると思うようになりました。年をとって体力が落ちてくるとよくわかるのですが、お酒は快楽を前借りしているだけです。翌日に必ず不快な思いをしながら、その前借り分を返さないといけません。
そしてお酒を造ったり、販売しているメーカーにとって、お酒は合法的なドラッグビジネスです。依存性があるお酒を、継続的に購入する多くの顧客によってビジネスが成り立っています。顧客の精神的な弱みと、依存につけ込んだビジネスです。
そのビジネスは、情報弱者の貧しい人々がメイン顧客であると私は思っています。お酒は日々の癒しであり、お酒を飲むことが大人のたしなみであると、社会から洗脳された人々が、お酒の産業を支えています。
しかし貧しければ貧しいほど、自分の生活を豊かにするために努力をしないといけないのに、面白くもない仕事が終わると、安酒を飲んで現実から逃避する人が多いのです。ビールを飲んで、自分より数十倍も稼いでいるスポーツ選手や芸能人が提供する娯楽を見て応援しているのです。
これは、過激な言い方かもしれませんが、そういう社会のシステムを作り出しているもののひとつが酒であるということだと思うようになりました。
人から与えられた価値観を信じきっている人には、全体が見えなくなってきます。お酒をやめることは、そのシステムから逃れて精神的に自由になることです。その自由が、システムに組み込まれるよりも幸せかどうかはわかりません。しかし自分で自由に行先を探すことは楽しい旅であると思えます。
お酒をやめて、いろんな感覚がだんだんと鋭敏になってきたように思います。というか、かつての感覚を取り戻しているだけかもしれません。酒によって自分が鈍感になってきたのとは逆の方向に、ゆっくりと変化しているような気がします。
酒飲みにとっては、新しい人生、新しい自分に出会う方法として、お酒をやめるのはとても安上がりな方法でしょう。毎日通う道をちょっと変更するようなものです。