こばるとライダー日記

Soliloquy of a man riding a motorcycle and a convertible

ブログの価値について思うこと

「ブログをやってるんだけど、アクセス数ってぜんぜん伸びないんだよね」って会社の後輩に話していたら、「もうブログの時代じゃないですよ、長い文章なんて誰も読みたがらないですってば。ツイッターとか短いのじゃないと。インスタなんて写真だけですからね。宣伝してますか?つくるだけじゃだめですよ」というようなことを言われました。

 

そうだよね。その通りだよね。ブログを始めてから、なんとなく後輩君の言う通りじゃないかと薄々気がついてはいましたよ。俺だって他人のブログを読むのは、グーグルで検索して出てきた、何か興味のある記事だけだもん。誰かのブログを定期的に読むことなんかしないから、人にそんなこと期待しちゃいけません。

 

でもアクセス数が増えるように、グーグル検索で上位に検索結果が出されるようにするには時間がかかります。はてなブログには、スターとか購読とかのシステムがあって、ブロガー同士が交流できる仕組みがあります。はてなブログの利用者同士で、お互い読み会えばアクセス数が増えるのです。

 

スターをつけてくれた人のブログもわかるし、せっかくつけてくれたんだから、見に行こうか読みに行こうか、という風になるわけです。ひとつのコミュニティですね。だからアクセスを増やそうと思うと、あちこちのブログに星をつけたり読者になったり、うろうろしてマーキングすればよいのです。

 

「うーん、でもそういうのはちょっと違うんだよ」と私は思って、気になってしまうのでスターの表示をやめました。案の定、読者数は伸びなくなりました。

 

 

話はかわりますが、私がデザインの仕事を始めた最初の頃、いい仕事についたなあ、と思っていたものです。自分で考えたものが形になり色になり、大量に複製されて量産され、世界中に出回るっていうのは、素晴らしいなあ、と自己承認欲求が満たされて、とてもやりがいを感じました。でもしばらくすると、デザインっていうのは消費されるものなんだ、と考えるようになりました。せっかく一生懸命考えてつくっても、いつかはゴミになってしまうからです。いずれゴミになるものをつくるって、これってどうなんだろうと、悩むようになりました。

 

クリエイティブな仕事をしている人は、いや何かをつくっている人は、多かれ少なかれ私と同じような悩みを持っているかもしれません。人気のあるアイドルだって、本屋で並んでいる雑誌の表紙に自分の写真が使われていると嬉しいけど、ゴミ箱に捨てられている自分の写真を見て悲しく思うこともあるでしょう。理屈ではわかっていても、自分が生み出したものが必要とされなくなるのは、やはり寂しいものがあると思います。

 

それが嫌なら、美術館に飾られるような、歴史に残る普遍的で質の高い作品を作り出せばよいのですが、残念ながらそこまでの実力はありません。仕事としてその時々に一生懸命はやってきましたけど、つくれるのはやはり消耗品。自分の実力もわかり、ある意味割り切ってやっていると、そんな状況にも慣れてきて、いつの間にかゴミ問題に疑問も抱かなくなりました。

 

何が言いたいのかというと、世の中の生産的な活動には、消費されるものと、残るものがあり、インターネット上の情報も同じようなものだなあと。物理的な存在ではなくデータなので、環境問題になるゴミではないですが、消費され消えていく(価値がなくなってゆく)データと、時間がたっても有用で読まれるデータがあるということです。

 

もう少し言うと、ツイッターのほうがブログよりも確かにアクセス数は多いのですが、ツイッターは日々の消耗品。過去のつぶやきなんて誰が読みますか?最新のもの以外は、価値がないのがツイッター。ゴミ情報を毎日量産するのがツイッター。

 

何年も何度も読まれる情報という視点では、ブログの方がツイッターよりも価値があると思います。私のブログで、アクセスが多く、よく読まれている記事は、ある特定の話題に集中しています。それはたぶん誰かにとって価値のある記事ということだと思います。そういう読まれる記事を書くほうが、自分には向いているような気がします。

 

私がツイッターをあまり好きになれないのは、そういうことなのかもしれません。と、いうようなことを言うと、「ツイッターはコミュニケーションツールなんですよ。日々の雑談なんて記録に残さないでしょ」って後輩君が教えてくれました。