こばるとライダー日記

Soliloquy of a man riding a motorcycle and a convertible

アクションスター

アクション映画は昔から一定の需要があり、体育会系の「腕っ節が強くてカッコイイ男」枠があって、今のハリウッドで言うと、ジェイソン・ステイサムなどがその代表です。


ジェイソン・ステイサムが演じる主人公は、車の運転が上手く、格闘技が得意で、銃器の取扱いもお手の物。頭が良くて用心深く、臨機応変に危機的状況に適応し、どんなときも取り乱さない。弱いものには優しいところもあり、女にもモテモテ。たぶんセックスもうまそう。欠点は唯一、頭がハゲていることくらい。しかしそれも世の中の薄毛の男性に、夢と希望を与える要素になってます。


ジェイソン・ステイサムは、洋画をよく観る大人の女性に人気があり(若い女性には年上過ぎるので人気がありません。菅田将暉のほうがよい。)、「ジェイソン・ステイサム素敵やわ~!格好ええやん!抱かれてもええよ!」などと言っているのを聞いて「ちっ。ハゲが好きなのかよ!」と心の中で舌打ちすることが、幾度かありました。

 

でも男からみても、ジェイソン・ステイサムは格好良く、自分自身のプライドを守りながら、組織に属さず、カッコよく生きている姿に憧れを抱きます。


我々小市民のさえない男たちは、生活や家族のために、仕方なくサラリーマンで月給などを稼いでますが、会社等所属する組織の中で理不尽なことがそれなりにあります。何か問題が発生し「俺は間違ってなかったのに」と思いながらも、「申し訳ありません。今後気をつけます。」などと、表面上は真面目に謝り、相手の表情を確認しながら愛想笑いなんかもしてその場を納め、部下の前では「部長の顔をたててやったよ、わかってないからなあ。」などと強がりを言うものの、やり場のない悔しさを抱えて酒場で酒をあおる、ということが日々あちこちで起こっています。

 

そういう悲しい出来事が繰り返される度に、知らずのうちに戦士たちのプライドは傷つき、心はツギハギだらけになっているのです。


そんな傷ついた男たちにとって、卑怯な悪漢たちをやっつけているジェイソン・ステイサムの活躍は、思わず感情移入して痛快に感じたりするのです。

 

しかしだからといって、その感動を何度も求めて、オンデマンドサービスで、ジェイソン・ステイサムの出演作を何本か続けて観たりすると、「なんだ!また、このパターンかよ!」と、ジェイソン・ステイサムの演技が、どの映画も同じということがわかり、なんでも出来て女にもてるナルシストくさい設定にイライラしてきて、最後まで観るのに耐えられなくなるのです。そしてとうとう「ナルシストのワンパターン役者の筋肉オヤジめ!」とリモコンを投げつけ、視聴を中断してしまいます。

 

昔から、このようなことは繰り返されてきて、シュワルツネッガーやスタローン、ドルフ・ラングレン、ヴァン・ダム、セガールなどなど正統派アクションスターが最後に必ず勝つ、という映画を撮り続けては、観客に飽きられるという結末を迎えてきました。


アクションスターが「俺もそろそろ新しいイメージにチャレンジして、新しい自分を見てもらわないと観客に飽きられるのではないか」と危機感を感じ、少し変わった役に挑戦しようとしても、「いやいや、あんたは自分の価値がわかってない。観客はワンパターンでも、マンネリでも、こういうお約束を求めてるんだよ!」と、実は役者を消耗品としか考えておらず、目先の利益しか頭にないプロデューサーあたりに説得されて、つまらない脚本のもと、観客に飽きられるまで、ワンパターンを続けるしかないのです。

 

そういえば今は亡き高倉健も、我慢して我慢して最後に爆発する男、という役柄ばかりを何作も演じ続けることに苦しみ、そこから抜け出そうと苦労をしたそうです。


それに比べ、アクションスターではありませんが、山田孝之の演技力はすごいです。話題の「全裸監督」を視聴して改めて思いました。どんな役でもキXXク、とかいわれてる人もいますが、山田孝之はプロの役者といえる数少ない俳優だと思います。いやあ素晴らしい。作品よりも演技が素晴らしい。

 

休日、ネットフリックスを観て、ジェイソン・ステイサムの映画は二度と観ない、ということと、山田孝之はすごいなあ、と二つ感想を持ちました。