こばるとライダー日記

Soliloquy of a man riding a motorcycle and a convertible

自己承認欲求とブログ

ブログを始めて、100記事を達成しました。

 

ブログを始めたときに、とりあえず100記事は頑張って書こう、と思っていましたので、小さな達成感があります。

 

私はもともとブログを書くのに、向いてない人間です。そもそも日記というものも嫌いで、長い人生において、まともなものを書いたことはありません。自分のこと、その日に起こったことなどを書いていると、「なんて俺はつまらない人間なんだろう」とすぐ自己否定モードに入ってしまうので、日記やSNSを書くのは、自分をいじめる行為なのです。だから、FacebookやTwitterで自分のことをいっぱい書いている人を見かけると、「自己肯定感の強い人だなあ、自分が可愛いんだろうな」と羨ましく思っていました。

 

ただ、私も年をとるにつれて、脳細胞が萎縮しつつあり、どこか行って考えたり、調べて勉強したとしても、気がついたら忘れてしまっていることが増えてきました。でもボケてはいないですよ。年齢相応の記憶力ということです。しかし、そういうのってちょっと勿体なくて、もう少し几帳面に生きてみようと最近思うようになり、ブログを始めてみる気になったのです。幸い年をとると自己否定も適当になってきて、昔ほどひどくはなくなりました。

 

それでブログを書き始めたんですが、不思議なことに、仕事帰りにたまに飲みに行ってた北新地のバーに行きたいと思わなくなりました。自己分析をしてみると、ブログを書く時間をつくるため、ということではなく、どうやら自分の考えをブログに書き出すことで、バーに行く必要がなくなったようです。

  

どういうことかというと、ブログを書くことで、誰かに伝えたい、聞いて欲しいという欲求が昇華できるようになったのだと思います。バーで気のきいた面白い話をしているつもりでしたが、実は客という立場を使って、自分の話を聞いてもらっていたんですね。

 

ということで、ブログを書くという行為は、自己承認欲求を満たす行為だとわかりました。自己承認欲求というのは、心理学者マズローの欲求五段階説の4番目のやつです。

 f:id:toshihiko-w:20190607093155j:plain

こういう図を見たことありますよね。心理学か何かの授業で、この図をはじめて知ったとき、私は若かったので、このピラミッドを小馬鹿にしていました。自己実現が人生の目的なんて、わかりきっていることなのに、わざわざ絵にしてつまらん分析だ、と生意気に思っていたのです。しかし社会に出て、いろんな人を知っていくうちに、この図は人間の行動を理解する上で、とても重要なものであると思うようになりました。

 

とくに自己承認の欲求の部分が、人と人のコミュニケーションで、影響力を持っていて、人間というものは、この欲求を満たすために、多大な時間やコスト、労力をかけているということに気がついたのです。 

 

わかりやすい話からすると、人同士の会話の理由です。会話は情報交換のためよりも、自己承認欲求を満たすためにしている場合が多いと思いませんか?相手のことを聞かずに、ひたすら聞いて欲しい人、喋り続ける人のなんて多いこと。みんな自己承認欲求を満たすために会話をしているのです。これは本能みたいなもんです。だからみんな自分の話を聞いてくれる人が好きなんですね。欲求を満たしてくれる人に好意を抱くのです。

 

インターネットの時代になって、それは顕著にあらわれるようになりました。自分のことを知ってほしい、聞いてほしい、認めてほしい、という欲求に突き動かされて、人はブログやSNSを更新し続けています。たぶん多くの人は、自分の中の何がそうさせているか気づいていないでしょうね。マズローによると、自己承認欲求は、欠乏欲求です。まるで依存性のある嗜好品のように、承認を求めているのです。

 

 そういうことに思い至ってから、あらためて考えついたのですが、もしかすると自分の経験や考えを人に話したい、共感を得たい、聞いてほしい、という承認欲求は、人間社会を進化させてきた原動力の一つではないかということ。

 

他の動物と違って、人類は知恵があることで、地球の支配者になれました。しかし知恵があるだけではなく、知識を共有することが人類の強みでした。文明を築いたのは人間の個人の力というより、人類という集合体の力です。偉大な天才の発想も、人類の知識の上に成り立ってます。知識の共有こそが、人類という集合体の力なのです。

 

そして知識の共有のはじまりは、まず他人に自分の考えを伝えて理解してもらうことから始まります。「ちょっと私の話聞いてよ~」というところから始まる自己承認欲求から、知識の共有が始まったと考えていいのではないかと思うのです。

 

だから、SNSやブログで、何を食べたとか、何をしたとか、他人にとっては全く役に立たない情報を、ダラダラとアップし続けるのは、人間の基本的欲求につき動かされて行っている行為ではないかと思うのです。もう本能レベルの行動なのです。しかしそれこそが、文明の進化の根であるということです。

 

インターネットは、そういう欲求を満たす最適な環境です。BlogやFacebook、Instagramなど、個人が手軽に情報を公開することができます。そして、より簡単に自分の思いを伝えることの出来る媒体が生まれると、そちらに人気が集まります。Twitterがブレイクしたのは、つぶやきがブログより書きやすく、共感を得やすいシステムであったからではないでしょうか。Instagramは、さらにメッセージなしに承認欲求が満たされる。どちらも承認欲求を、より簡単に満たせるサービスなのです。

 

もう今となっては、ブログなんて、めんどくさい承認欲求の満たされ方です。わかりやすくするために、読みやすい間違いのない文章を書くのはもちろんのこと、写真や地図を入れたり、リンクを貼ったりと、ひとつの記事を書くのはなかなか手間がかかります。

 

そうやって頑張って記事をつくっても、アクセス数は意外と伸びないし、やがて書くネタもなくなってきて、自己承認欲求が満たされなくなり、ブログやめちゃう人も多いんだろうな、と思います。

 

さあて、私の場合はいつまで続くのやら。