こばるとライダー日記

Soliloquy of a man riding a motorcycle and a convertible

寂れた神社巡りをしていたら、ぎっくり腰になってしまった件

 

 

一時期、GoogleMapへの写真投稿に、はまっていたことがあります。投稿ポイントがたまると、GoogleDriveの使用容量が増えるサービスをやっていたので、頑張って投稿していました。自分の投稿した写真が、何回閲覧されたか、カウントされるのも楽しみでした。

 

有名な場所は投稿写真がたくさんアップされていましたので、あえて辺鄙な場所を探して、例えば寂れた神社などは投稿が少ないので、そういうところばかりを訪れて写真を撮って投稿してました。

 

そんなことを繰り返していた年の暮れ、ひどい風邪を引いてしまい、さらに年始になってから大きな咳をした拍子に、ぎっくり腰になってしまいました。ぎっくり腰になったのは人生で初めてで、新年早々ひどい経験をしました。年末の寒い時期に、バイクに乗って山の中の神社巡りなどをしていたから、風邪をひいて腰を痛めたのだと思いました。

 

一か月くらいして腰は治りましたが、ネットで寂れた神社は行かないほうが良い、という記事を見つけました。そのサイトによると、人が手入れをしなくなって寂れた神社では、神様は不在で、逆に悪い「ものの怪」が集まる場所になっていて、たまに来る人間に悪さをする、とのことでした。

 

私は特定の宗教の信仰はしていませんが、それを読んで、なるほど、そんな場所ばかり行っていたから、ぎっくり腰になったのかもしれないなあ、と思いました。いろんな神社を訪ねた経験上、境内に入った途端に、凛とした空気を感じる神社もあれば、なんとなく澱んだ空気を感じる神社もあります。神様がいらっしゃるのかどうかはわかりませんが、その場所が持つ気のようなものがあると思っています。

 

奈良の古い神社やお寺は、たいてい山の中や、山の麓にあることが多いです。開祖となる人が、その場所の聖なる気を感じて、そこに神や仏を奉る施設をつくったのではないかと思うのです。そして人々がその場を清め、手入れをすることにより、気の流れが人に良い影響を与える場所になるのだと思います。そして何かの理由で、気の流れが変わり、悪い場所に変わることもあるのかもしれません。

 

日本人は、学校教育の積み重ねで、掃除好きになっているといわれていますが、実は宗教観も大きく影響していると思います。神道では神がいらっしゃる場所は清めなくてはならないという概念があり、清掃、清めというのは重要なこととされています。逆に、穢れという概念は、その清めの反語として生まれたそうです。清めることで良きものを招き、悪しきものを払う、という日本人の宗教観が、綺麗好き、掃除好きにつながっているのでしょう。

 

掃除が行き届いている場所は気持ちよく、掃除がされていない場所はなんとなく悪い気があるようです。まず運気を上げたかったら掃除をしよう、というのは根拠があるような気がします。