こばるとライダー日記

Soliloquy of a man riding a motorcycle and a convertible

人間関係で気をつかっても失敗すること

人間関係で気をつかっても失敗する時ってありますよね。

 

よかれと思ってアドバイスしたのに、相手に逆切れされたり、地雷を踏まないように用心していたのに、むちゃくちゃ怒られたり。

 

私もたまにそういうことがあって、気分が悪くなると同時に、いろいろと反省したりします。何が悪かったのだろう、どのようにすればよかったのだろうとか。

 

先日、新しく知り合った人が、広告で人を騙すテクニックを使っていたので、そういうことをするのはフェアじゃない、トラブルのもとになるよ、と遠回しに(自分では気をつけたつもり)忠告をしました。すると、自分を非難されているように感じたようで、むちゃくちゃ逆切れされました。

 

勘違いするほうが、騙されるほうが悪いんだ、あんただって同じようなテクニックを使うだろう、そんなこと言われて傷ついた、と自分の正当性を主張し、精神的苦痛を被ったと抗議されました。確かに、私も悪いところを目立たせなくしたり、いいところを強調するハロー効果を使ったりしていますが・・・でも嘘は使ってませんよ。

 

非難するつもりもなかったし、よかれと思って言っただけだし、冷静になってもらおうと優しく話をしましたが、相手の怒りがおさまらないので、これは何を言ってもダメなパターンだろうな、と途中で気づきました。感情的になって相手を動揺させる、自分への注意を相手の非にすりかえる、問題をごちゃまぜにして論点をわからなくする、という手段を反論に使ってくる人とは、まともな話ができません。

 

こういう人は、話し合いにおいてロジックなんてどうでもよくて、自分の感情を最優先事項にすることが多いです。話をする基準が、自分自身の感情やプライドになるので、社会的な観点や、ユーザー視点での常識や正論を言っても心に響きません。なので、こちらの正当性を伝えるために、他の人に応援してもらっても被害者意識が増すだけ。

 

感情論として少し例えが悪いかもしれませんが、彼氏と別れて落ち込んでいる女性に、「世の中で別れている恋人なんていくらでもいるし、結婚したとしても日本の離婚率は35%なんだよ。それに男は全世界人口の半分いるんだから、落ち込む必要はないよ。次があるから!」と言ったところで、効果的な慰めにならないのと似ています。私のような理系頭の男性は、とんちんかんな統計的なデータで女性を慰めたり説得しようとする傾向がありますが、かえって女性の気分を害したりするのです。感情を害した人は、説得よりも共感を必要としているのですから。

 

女性を例に出しましたが、プライドを傷つけられて怒りに満ちている男性も同様です。機嫌よくなってもらうための方法は、相手の感情をやわらげる言動でしょう。相手を肯定し、こちらの非を完全に認めて、相手に従うのがよいでしょう。あるいは高価なプレゼントでご機嫌をとったりするのも効果的です。感情は理屈よりも気持ちで動かすほうがよいです。

 

感情に言葉の理屈なんて役に立たず、全く無力ですから。しかし明らかに相手に非がある場合、こちらとしてもそこまで下手に出れません。私にだってプライドありますから。

 

てなことを書いていたら、ウクライナの戦争も、プーチン個人の感情がかなり影響しているのだろうな、と思い至りました。彼は20年以上独裁者として、国を自分の思い通りに動かし、政敵を暗殺までしてきました。取り巻き連中も相当気を使っているでしょう。そんな自分中心で生きている人間が、国際政治において、他国に配慮したり譲歩したり、大局的な見地から冷静な判断ができるはずありません。現在はとても感情的になっていると思われます。ただし、本人は冷静に合理的な判断をしていると思っているのでしょう。長年独裁者やってたら、自分の感情がすべて正論に思えてくるはず。

 

国際社会の問題と、身近な人間関係の問題を同じ視点で語るのは、かなり乱暴だとは思いますが、コミュニケーションの問題、理性と感情の問題として、なんだか共通性を感じてしまいます。

 

我々の身近な社会における人間関係においては、もし自分勝手で迷惑な人がいたら、つきあわないようにするとか、距離を置いて離れるとか、そういう対応ができます。社会的に問題のある人物は、やがて気づいて反省するか自滅するかしていくでしょう。

 

国際社会においても同じような対応をしています。民主主義でない独裁国家は、民主主義国家群から、距離をおかれます。信用できないからです。しかし身近な社会との違いは、そうやって周囲の国が対応しても、21世紀になっても、独裁国家が無くならないことです。

 

ではどうすればよいのでしょうか。力ずくで変化を求めればいいのか。そんなほかの国をなんとかする戦争は誰もしたくありません。そういう国家や人によって、現在戦争行為が行われ、一般人が多く亡くなっているのに、誰もすぐに止めることができない。無力感を感じます。

 

我々ひとりひとりは、世界を変えることはできなくても、せめて身近なところで、不正なことや不幸なことを減らす努力はできるでしょうか。そのためには、見て見ぬふりをせず、相手の立場を理解しながらも、きちんと正論を伝える。そして正論を納得させることができる人格を自分に身に着ける。まあ、そういうことなのかなあ。

 

なんだか、モヤモヤする毎日ですが、我々がよりよき社会に向かえることを願います。