こばるとライダー日記

Soliloquy of a man riding a motorcycle and a convertible

二人の料理人

二人の料理人がいました。彼らは兄弟です。

 

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二人の父親も料理人でした。父親は若い頃から、いくつかのレストランで修業して腕を磨き、今はオーナーシェフとして伝統的な高級料理店を経営しています。食通の評価が高くて、芸能人や政治家などの著名人が訪れる店として流行っています。

 

二人の子供も、父親の背中を見てきたせいか、幼い頃から料理が好きで、将来は料理人になることを希望していました。父親もそんな子供たちに目を細めて、将来自分の店をどちらかの子供に継がせて、もう一人の子供にも支店を持たせたいという夢を持っていました。苦労して作り上げた自分の店に愛着を持ち、自分の料理の腕にも誇りを持っている男でした。

 

兄弟は二人とも料理が大好きでしたが、性格や器用さには個性がありました。兄は物心ついた時から運動神経がよくて手先が器用。子供のくせに味覚が鋭くて、小学生の頃から大人を喜ばせる料理をつくっていました。弟は兄に比べるとそれほど器用ではなく、三つ違いの兄の真似ばかりしていましたが、とにかくいろいろと失敗が多い子供でした。

 

父親は、そんな子供たちを比較してはいけないと思いながらも、どちらかというと兄の方に期待をしていたのでした。彼は、子供たちを料理学校に通わせて、それから他店で修業をさせた後に、自分の店で働かせながら自分の知っていることを教えるつもりでした。兄は、そんな父親の期待に応えるため、料理学校へ進学し、父親の知人の店で見習いとして働き始めました。そして弟の方も、料理の学校へ入学をします。

 

ところが父親も目論見は崩れてしまいました。兄は半年ほど働いた頃に、知人の店を辞めたいと言い始めたのです。下働きばかりで面白くない、やりがいがない、というのがその理由でした。父親は、料理人の下働きはひとつの訓練で、これからの長い人生料理人として働くためには必要な過程である、昔ほど長期間でもないので、我慢して続けるように説得しました。しかし兄はもう辞めるとの一点張り。とうとう親子喧嘩になってしまって、兄は実家を飛び出してしまったのです。

 

家を出た兄は海外を放浪するといって、いろんな店を転々する流れの料理人になりました。人あたりがよく、いろんな人とすぐに仲良くなる性格に加えて、器用で味覚が優れていて、料理人としての才能があった彼は、何処へ行ってもすぐに雇ってもらえるのでした。でも数年すると、店を辞めてしまうのでした。その店の料理を一通りこなせるようになると、面白くなくなってくるのです。

 

数年勤めて辞めるという凝り返しをいろんな国でやっていても、料理に対する情熱は失われることがなく、研鑽を続けていたので、40歳前にはかなりの腕前の料理人になっていました。そして、ある裕福な人にその腕を見込まれて、自分の店を開業することになりました。様々なジャンルの料理を組み合わせた彼独特の料理は、すぐに評判になりとても繁盛する店になりました。

 

弟のほうは父親に言われた通り、伝統的な料理人としての人生を歩みました。父親の知り合いの店で10年修業をし、父親の店でまた下働きから初めて、厨房で重要な役割をまかせてもらうようになりました。

 

兄は父親と喧嘩別れしてから、あまり仲がよくありませんでしたが、母親には連絡をとっていたので、互いの動向は知っていました。兄が店を持って数年たった頃に、母親は兄の店に父親を連れていきました。兄は黙って料理を出し、父親も黙って食べました。父親は何も言わず店を後にしました。家に帰ってから母親に「悪くないな」と一言だけ言いました。それから1年後に、弟へ店をまかせて隠居し、しばらくしてから病気で亡くなりました。

 

父親の葬式が終わって、兄と弟は酒を酌み交わしながら、久しぶりに二人きりになりました。

 

最初に口を開いたのは弟でした。

 

「今だから言うけど、俺は子供のころから兄さんと比較されることが嫌だったよ。兄さんは勉強も運動もできて、何をやっても褒められたが、俺は兄さんに比べると成績も悪かったし、料理も下手だった。オヤジは面と向かっては言わなかったけど、兄さんの話をするときはいつも嬉しそうだったな。俺は寂しかったよ。

 

だから、兄さんがオヤジと喧嘩して家を飛び出した時、少しほっとしたんだ。これで兄さんと比べられることが無くなったと思ったからだ。だけど俺は兄さんが家を出てから、俺なりに頑張ったぜ。俺は兄さんのように頭がいいわけでもないし、器用でもない。自分に与えられたことを地道にやるしかないと思って、言われたことを文句言わずに丁寧にやることを心がけた。

 

でもおかげで俺みたいな不器用な男でも、一人前になれたさ。店もなんとかオヤジの評判を落とさずにやっていけてるしね。考えたら、兄さんのおかげで覚悟が出来たかもしれないなあ。」

 

兄は弟の話を聞き終えて、しばらくしてから話しだしました。

 

「料理の世界ではお前のほうが才能あるのかもしれんよ。

 

俺は子供の時から、お前のこだわる性格を知っていたよ。ほら、最初に卵焼きをつくったときも、俺は要領よく料理をつくったけど、お前は自分で納得いくまで何度も作り直したよな。お前のようにひとつのことをしつこくやるのには感心してたんだぜ。

 

俺はあちこちで修業したが、どこに行っても、不器用でもひたすら頑張っている料理人がいた。そういうやつを見るたびにお前を思い出していたよ。そういうやつは、俺みたいな性格の人間にはたどり着けない所に行くのさ。

 

俺はひとつのことをずっとやっていることができない。何か変化がないと退屈してしまうんだ。そして、そうやってひとつに集中しているやつに負けそうになって、店を辞めてたのかもしれないな。

 

そういう自分を恥ずかしく思うこともある。でもさ、俺にもいいところがあって、いろんな料理をとにかく覚えたからな。料理というものは、どれだけ人を喜ばせて感動させるかということだと思う。俺とお前はやり方は別だけど、俺はどちらも正しいと思ってるよ。

 

お客は伝統的な料理も食べたいし、新しい味も食べたい。人間の食欲はそんなものだからな。」

 

二人は朝まで料理について、そして父親について語り合ったのでした。

 

以上のような筋の話の夢をみました。まあ実際の夢はもっと混沌としていたのですが、こういう話のイメージが目を覚ますと頭の中に残っていたのです。仕事のほうで、伝統的なデザインと、いろんなものを組み合わせるデザインについて、ここしばらく考えていたせいだと思います。なんか面白い話になりそうなので、忘れないように書き残しておきます。関西の料理人の世界で書いたら面白くなるかなあ。