こばるとライダー日記

Soliloquy of a man riding a motorcycle and a convertible

尾崎豊と、バイクを盗んだ少年

 

盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま  暗い夜の帳りの中へ 誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした15の夜

 


尾崎豊の有名な曲「15の夜」の歌詞の一部です。昔この歌が大嫌いでした。どうしてかというと、私はバイクを盗まれたことがあって、嘘みたいですが、盗んだ相手は中学生で15歳だったからです。この歌を聴く度に、こんな歌があるから、中学生がバイク盗むんだよ!って怒ってました。

 


私が大学に通っていた頃、いつも貧しい私は、ボロいアメリカンのバイクを大切に乗っていました。しかし相当古いバイクでしたので、不具合が多くなり故障ばかりするようになりました。それをかわいそうに思った私の兄が、自分のバイクを無料で譲ってくれました。

 

もらったバイクは、セパハン仕様のRZ。走る棺桶と言われ、ヤンチャなガキに人気のあるバイクでした。これも古いバイクでしたが、エンジンはよく回りました。回せば回すほどアドレナリンが出ましたが、私は死にたくないので、恐る恐る乗っていました。そしてバイクに慣れてきた頃に、盗まれてしまったのです。


私は大学から歩いて20分ほどの距離にあった、四畳半のアパートに住んでいました。アパートの前の電柱の傍にバイクをいつも置いていました。ある朝、バイクに乗って大学へ行こうとするとRZがありません。大学にバイクを置いて家に帰ってきたのかと最初は思いました。そして学校に行ってRZを探しましたが、どこにもありません。それでようやく自分のバイクは盗まれたのだ、と理解したのです。

 

ハンドルロックは必ずしていましたが、タイヤロックはしていませんでした。その頃の古いバイクのハンドルロックを壊すのは比較的簡単らしくて、バイクに詳しい友人がそういってました。不良がものすごく欲しがるバイクを、なんの対策もせず、盗んでくださいといわんばかりに、毎日同じ場所に停めていたわけですね。やれやれ。

 

近くの交番に盗難届けを出して数日後の夜、バイクが見つかったと交番から呼び出しの電話がありました。交番へ行くと、私のRZがボロボロになって置いてありました。交番の中に入ると、破れた服を着た傷だらけの少年が、裸足でうなだれて椅子に座っていました。擦り傷があちこちにありましたが、大きな怪我はしていません。中学3年生でした。

 

お巡りさんによると、パトカーに追いかけられてバイクで転んだそうです。ノーヘルで、よく死ななかったなあ、と思いました。窃盗と無免許の現行犯です。

 

私はその時ビールを飲んでいい気分だったこともあり、少年に腹が立つというよりかわいそうに思えました。でもRZはボロボロです。お巡りさんに「このバイクの損害について警察は何かしてくれるのですか?」と聞いたところ、「民事になるから警察は何もしない。この子の親と直接話をして。」との答えでした。犯罪なのに、警察は被害者に何もしてくれないのだ、とびっくりしました。

 

「じゃあ、連絡先を教えてください。」と言って、住所と電話番号を聞きました。交番から出るときに、少年に「絶対にバイクは弁償してもらうから。」と言いました。少年は私と目をあわせず何も答えませんでした。私は壊れたバイクを押して、アパートへ帰りました。

 

翌朝にバイクをチェックすると、ハンドルが曲がり、鍵は壊されていて、ひどい有様でした。タンクに穴は開いてませんでした。私は、近所のバイク屋へRZを持っていき、修理費用がどれくらいかかるか聞きました。

 

バイク屋の店員は私に同情してくれて、フロントサスの交換、鍵交換やらで、十数万円だと教えてくれました。

 

私は貧乏学生なので、そんな大金は払えませんでした。少年の親に全額弁償させるつもりで、修理の見積書だけを書いてもらいました。

 

それから3日ほど経っても、少年の親から謝罪の連絡も来ません。仕方ないので私のほうから電話をしました。少年の姉が電話口に出たので、自分は弟にバイクを盗まれた者であること、バイクを壊されたので弁償して欲しいこと、それを親に伝えてほしい、そして自分の連絡先を伝えました。

 

その日の夜に母親から連絡があって、翌日大学の近くのファミレスで会う事になりました。私は謝る母親に見積書を渡し「バイクの修理にはこれだけかかります。迷惑料とかはいらないので、この金額だけ払ってください。」と、言いました。

 

母親は、予想以上の金額に驚いて、知り合いにバイク屋がいるので、見積をそのバイク屋で確認させてほしい、と私に言いました。めんどくさいなあ、と思いましたが、金を払う気はあるようなので、指定のバイク屋にバイクを押して持っていきました。

 

そのバイク屋は、見積をとったバイク屋と違う店ですが、私も何度かバイクの修理で利用したことのありました。そこのオヤジさんにバイクを見てもらうと、フレーム曲がっているし、修理よりこのバイクは廃車にしたほうがいいよ、と言われました。見積の金額に関してはこんなもんだろう、と言っていました。


翌々日、同じファミレスに母親から呼び出されて会いました。母親は私が提示した金額よりもだいぶ少ないお金を封筒に入れて渡してきました。

 

「うちは母子家庭なんです。高校生の娘と中学生の息子を私が一人で育てています。仕事はパートをしていて、収入はそれほどありません。経済的に苦しく生活はぎりぎりです。申し訳ないが、この金額でなんとか勘弁していただけないでしょうか。」というのです。

 

「あなたの事情はこっちには関係ないでしょ。生活が厳しいって言ってるけど、車にも乗ってるじゃないか。貧乏なのはこっちのほうだよ。あなたの息子は他人のモノを盗んで壊して、迷惑をかけたんだよ。親なら謝罪して全額弁償すんの当たり前だろ?子供のやったことは責任とれよ!学生だと思ってなめるな!」

 

と、ホントはそれくらい言いたかったのですが、気落ちして小さくなっている母親を目の前にして、きついことは言えませんでした。馬鹿な子供を持ったかわいそうな母親に見えました。一人で頑張って働いて育ててくれている母親にこんな思いさせて、あの子はわかってんのかなあ、と悲しくなりました。お金は欲しかったのですが、もともとタダでもらったバイクだし、バイクが見つかって多少弁償してくれるだけでもいいかと思いました。「わかりました。これでもう結構です。」と母親の泣き落としに屈したのです。

 

学生の私は、世間知らずでお人好しだったかもしれません。誰かがそんなに払わなくてもいいよ、と母親に入れ知恵したのかもしれません。今の私だったら、サラ金で金を借りさせてでも取り立てるかもしれません。でもその時の私はそうするしかなかったのです。

 

RZは修理をせずに廃車にしました。兄には盗まれて壊れてしまったことを報告し、私はバイクに乗らなくなりました。


それから十数年後、私はCB400SBを購入し、再びバイクに乗り始めたのですが、この盗難事件のことが頭にあって、バイクには盗難アラーム、バイクカバーに、ゴジラチェーンと盗難防止対策は徹底してやりました。

 

しかし盗難アラームは常時バッテリーの電気を使うので、私のようなサンデーライダーにはよくなかったですね。冬にしばらく乗らないと何度かバッテリーがあがりましたので、オプションをつけたのは失敗しました。自分でいつでも交換できるようにするため、予備のバッテリーと充電器を用意していましたけど。

 

そして今はSCR950に乗っています。SCRの盗難対策は特に何もしていません。ハンドルロックだけです。アラームはつけていないし、カバーもかけていないし、タイヤチェーンもつけていません。

 

SCRは取り回しがめんどくさいことと、バイク置き場が道路からスローブをあがったところにあるので、前輪を台車に乗せて搬出できないこと、防犯カメラがバイク置き場に数台あること、マンションのすぐ近くに交番があること、など、どう考えてもバイク泥棒は盗む気にならんだろうと安心しているからです。

 

そして何よりSCR950は人気がない。転売で欲しがる人も少ないでしょう。とても安心なバイクです。

 

卒業してから何年もたち、私もおっさんになったからでしょうか、今は尾崎豊の「15の夜」を聞いても、嫌な気分にはなりません。あの傷だらけになって交番で座っていた15歳の裸足の少年を少し思い出すくらいです。あの少年も私と同じく大人になっています。今ではバイクを盗んだことを反省していて、母親を安心させる男になっていればよいのですが。